ペレポスト2号ゴールド
   地植え栽培の巨大輪シンビジューム。

   一口に言えば、上の杉巨木の自然の法則を、ハウス内に構築した栽培法。
   ラン菌が生息しているペレポストで・・・世界で初めて成功した。
   山を見る・・・栽培である・・・。


   木を見る人では・・・。
   水ゴケがどうの、バークがどうのという人では・・・ランの本質に迫る栽培は出来ない。
   ラン遊び・・・なら出来るが・・・・・・。


    ペレポストにあれこれ・・・いう人は、
    一度宇井 清太の地植え状態を見たほうが良い。
    これまでの貧弱な知識、技術、経験が・・・一挙に・・・吹っ飛ぶから。
    栽培というのは「実証の世界」である。
    宇井 清太、ラン栽培50余年・・・・どうにか・・・ここまでたどり着いた。

     2015年、今年のノーベル賞も・・・・土壌微生物だった。
     木材腐朽菌も・・・。
     そういうことである。
     自然界の複雑な綾を・・・ときほごすのは・・・男一生かかっての仕事。
 
こういう巨木は
 人間の栽培技術では・・・育てることはできない・・・・。
 
 なぜこういう巨木が・・・????
 この答えが・・・木材腐朽菌による炭素循環栽培法である。
 

 この巨木も・・・最初は1粒の杉のタネ。
 発芽して・・・ここまで大きくなった!
 人間等・・・・カンケイない。
 これが植物の本性である。
 芽生えたところで・・・・生き続ける。

 ラン科植物も・・・この杉も・・・多年草。
 来年生きるための養分を・・・秋までに貯蔵しなければならない。
 それの繰り返し・・・再生と循環。
 やがて・・・・生命が尽きて倒れる。・・・・倒木。
 だんだん・・・朽ちてゆく!
 この朽ちらす菌が「木材腐朽菌」。ラン菌である!
 倒木にコケが生え・・・そこの一粒の杉の種が舞い落ちる。
 ヒコバエ・・・・。
 

 ランつくりは・・・・
 この自然の法則とは乖離した・・・栽培を行っている。
 蘭展で・・・大株を買う。
 他人が・・・培養した株。または山堀株。
 大きく育った女を・・・嫁にするみたいな。
 家風も・・・育ちも違う。
 順化するのにヨメも・・・・何年もかかる。
 ましてやラン菌削除の無菌播種法の苗なら・・・なおさらである。
 植物は移動できない!
 これが基本である。
 しかし、飛行機で運ぶ。トラックで運ぶ・・・・。
 株を移動するのが商売である。
 ランの立場に立てば・・・・抵抗できないから・・・黙って・・・
 下手な人の家に、温室で生きなければならない・・・運命に従う。
 全然ランの気持ちなど・・・おかまいなし。
 こういう人ほど・・・珍品に手を出す。
 己のレベルを知らない・・・。
 「メクラ蛇藪におじず・・・」・・・メクラというのは言ってはならない言葉であるが、
 山を見えない人ほど・・・キンラン、銀ラン・・・に手を出す。
 山を知っている人は・・・キンランを掘ることはしない。

 でも、宇井 清太は思っている。
 キンラン、銀ラン、カキラン・・・こういう植物を・・・なぜ愛好のの対象にしたいのか?
 遺伝子から見ると・・・どう育種しても・・・進化して・・・・
 切り花産業になれる、鉢物産業になれる遺伝子はない。
 ラン菌削除の用土では・・・ほぼ100%枯らす。
 ラン愛好とは残酷な・・・身勝手なものである。
 
 この講座は・・・ランの、植物の立場から記述しているが・・・
 この理念、主旨が・・・全然理解しない人もおる。
 この講座とは別な栽培法というのは、自然の法則とかい離しているから、
 その栽培法では、10年後も20年後も、50年後も・・・今と同じだということを・・・
 宇井 清太は言っている。
 進歩のない世界は・・・必ず衰退するからである。
 10年同じでは「ラン友会」も・・・スリーピング会員だけになる。
 名前負けの蘭会が・・・・。
 蘭展も同じ・・・・。
木を見て山を見ない。
いい言葉である。
人間というのは・・・・どうしても物を見る目を持っているから・・・
目で見えるものが正しい・・・全てだと・・・心底から思ってしまう。
細かいところつついているうちに・・・全体像が見えなくなる。
小さい世界が見て・・・大きい所が見えなくなる。
ラン栽培、園芸の世界も、近頃細かく趣味の世界も分化して・・・
特にラン科植物では・・・個々のランに特別な用土、栽培法がある。
自生地では他の多くの植物と共にいきているが・・・
ラン科植物だけ別な世界に自生しているように盲愛している人もいる。
しかし栽培現場では・・・自生地とは大きく異なることをしている。
大きな勘違い。大きな思い込み。
「木を見て山を見ない」・・・典型的な姿がそこにある。
ラン科植物も「草本」の一つに過ぎないのであるが・・・・。

ラン界、植物世界では・・・花の美しさに、珍しい・・・珍奇な姿に目が奪われ、
自生地の全体・・・植生・・・共生菌のラン菌など全然念頭に、視野に入らないで・・・
山堀り・・・ということになる。
そういう流れの中で、ラン界の200年の歴史が積み重ねられてきた。
珍奇な原種を手にする優越感は・・・まさに「木を見て山を見ない」の典型である。
知識としては、ラン作りならだれでも・・・ラン科植物はラン菌と共生して生きていることを知っている。
しかし、これを鉢に植えるとき・・・全然・・・そんなことどこかに置いて、
ラン菌など全然気にもしないで・・・水ゴケ、、バーク、軽石・・である。
こういうこと、ラン作りする前には知らなかったわけだから・・・
ランつくりしたとき・・・どこからか仕入れた知識、技術である。
ラン作りするとき・・・人から習ったり、教わったりするから・・・・
「木を見て山を見ない」ことになる。


ラン菌による炭素循環栽培法は、
「木を見て山を見る」!
そういう栽培法である。
右の杉の巨木は山形県に自生する巨木である。
この巨木を見るとき、この幹回りとか、枝ぶりとか、光線、湿度、気流、
降雨量、土質、地形、気候などを観察し調査される。
多くにラン紀行などの原産地巡礼、視察の中には、こういうことが記録。
この巨木の森林には、コケイランも、クマガイソウも、エビネも、
その他200以上の植物も自生している。
そのすべての植物に共通しているのものは・・・何か?
当然・・・この巨木に誰も肥料などやってはいない!
なぜ・・・ここまで巨大になれたのか?
自生地におけるランの姿も・・・体は小さいが・・・まったく同じ。
誰も肥料などやらない・・・。
人間が足を入れない・・・よじ登れない・・・。
・・・・全ての植物は枯れ落ち葉に中に自生している!
共通しているのは・・・これである。
しかし、枯れ落ち葉の中から掘ってきたにも係わらず・・・、
肥料で作ることを行ってしまう。
より早く・・・より多くの花を咲かせたい。
向上心が・・・木を見ることになる。
蘭展会場の入賞花という・・・・木である。
自生地より、蘭展の入賞鉢が立派に見えてしまう。
自生地より・・・この人の技術素晴らしい!
・・・・・・
そういう質問を一年に何回か受けることがある。
それに答えるには・・・自生地では発芽するのに・・・・
その鉢に種をまいても発芽しない・・・というようにしている。
植物の基本は・・・芽生えたところで生き続けるからである。
これが植物の山である。
こういうことを考えると・・・ラン栽培というのは、いかに自然の法則から乖離した・・・
非常に稀な技術での栽培、愛好であるか理解できよう。
ランの自生地には無菌のフラスコなどないからである。
あるのは枯れ落ち葉と木材腐朽菌である。
ここまでたどり着くのに・・・宇井 清太も50年近くかかった!
脳に刷り込まれた・・・木だけを見る・・・常識を・・・払拭できないからである。
どんな本を見ても「木を見る・・・」ことしか書かれていないからである。


これまで・・・・
この地表の生態系が巨木を育んできたことが調査、観察対象から削除されてきた。
つまり、毎年地表に舞い落ちる「枯れ葉」のこと、
そして、これを分解する「木材腐朽菌」と植物の共生関係が見過ごされてきた。
植物の光合成理論のみでは・・・この巨木の生命活動を証明できない。
なぜなら・・・植物工場では・・・この巨木を育成することは出来ないからである。
過酷な一年として同じ環境のない自然の中で・・・
なぜこの巨木が生き続けることができたのか????
植物は「芽生えた場所で生き続ける」生き物である。
巨木と巨象、巨クジラとの違いである。
動物なら食べ物を求めて移動し巨大にもなれるが・・・・
植物は・・・生まれた場所で・・・何百年も風雪に耐えて生き続けなけれなならない。
一つのエネンルギー源の光合成の澱粉のみで・・・風雪をしのいできたのだろうか。
宇井 清太の疑問は・・・ここにあった。
山を見れば・・・枯れ葉の中に木材腐朽菌のキノコが生えているではないか!
枯れ葉の中に「菌糸」が張り巡らされているではないか。

葉の持たない「腐生ラン」は・・・光合成出来ない。
ランの種子は無胚乳種子。
プロトコームまで生長するに・・・どこからエネンルギーを調達している???

もしかして・・・・巨木の根も・・・ランのプロトコームのように・・・????
ランはパクリの名人である。
オリンピックのエンブレムのようなチャチなパクリではない。
地球の3億年以上の生命活動のパクリである。
無胚乳の種子のエネルギー調達には・・・必ず前例があるはずである。
ラン科植物が地球に現れたのは6500万年前。
木材腐朽菌が現れたのは2億8000万年前、
針葉樹が現れたのは・・・・針葉樹の巨木は・・・・・


植物と共生菌の関係を見ることが「山」を見ることである!
そういう目線から開発したのが、
ラン菌が生息している「ペレポスト」である!
正に地球の植物歴史を・・・再現した用土である。

ペレポストを開発してから約10年が過ぎた。
ものすごく多くの皆様からご使用いただいている。
しかし、ラン界には・・・残念ながら未だに「木を見て山を見ない」
「山を見ようともしない」・・・ラン友会も、ベテランも、大御所も、業者もいる
ランは・・・特別な植物だと・・・狂信的なまで愛好している人もいる。
更に・・・現在でもプラントハンターが掘った「山堀株」崇拝者もいる。
しかし・・・ラン菌のことなど・・・眼中にない。
つまり、こういう人は美魔女の美しさと、名前を憶えて・・・プラントハンターに頼んで、
拉致するまでして・・・手に入れる方向違いの狂信者。
美魔女の胃の中の微生物・・・腸内フローラが・・・美しいボディーを作っていることなど、
眼中にない・・・・。
そういうことで原種、原種といっても・・水ゴケ栽培では美魔女の身体が日に日に崩れる。
持続は力なり。
持続させるには・・・巨木を育んだ「木材腐朽菌」と共生する栽培である。・

段々・・・ラン界が衰退して行く・・・・
ランでは人を呼べなくなった「蘭展」
その原因の一つに「木を見て山を見ない」蘭界の体質・・・伝統???がある。
枯れるから売れる????
そういえば・・・ラン界には・・・今でもプラントハンター的な人がいる。
レア・・・珍奇を求めるのは人間の本能。
この本能を最もくすぐる植物が「ラン科植物」である。
でも原種というのは地球の過去が作った植物。
無限にあるわけではない。
新種発見いうが・・・地球の過去の産物・・・・これまでの人間が・・・見落としてきたのかも。
珍奇な花でないから・・・・。
地球の過去で飯を喰ってきたが・・・次の息子の時代では・・売れる、売るランがなくなるかも。
そういうところまで日本の蘭界は「努力」「商売熱心」である。

これからも原種で商売するなら・・・新人を導入することであるが・・・
今の若い人・・・安直なホームセンター鉢花の「寄せ植え」。
段々と・・・園芸が安直化。

ラン栽培も・・・ペレポスト以外では見るべきものがない状態。
業者さんはチームを組んで頑張っているが・・同じビジネスモデル。
栽培指導も・・・・山を見ない・・・栽培法を何十年もやっている。・・・・今年も。
見落としてきたものが・・・・「山全体」「山の営み」「木材腐朽菌」。
これからも見落とす人は・・・ラン遊びで終わる。
ほんとにランで達成感を、楽しさを得るには・・・ペレポストである。
山の深さが解ってくる!
ペレポストを使用しない業者と繋がりの深いラン友会。
一口に言えば・・・10年一日のように進歩しない状態である。
ランが」喜ぶ・・ラン栽培が出来ないからである。
宇井 清太はペレポスト以外のラン栽培を全て否定しているのではない。
これまでの200年、そういうもので蘭界は続いてきたから・・・。
でも、それは・・・人間の愛好の「ポジション栽培である。
ランが喜んでいようが、泣いていようが・・・カンケイナイという愛好、園芸である。
ランに・・・移動ができ感情があり、言葉を・・・もし話せたら・・・・
あなたの温室から・・・・逃げ出しているかもしれないし、・・・・拉致された、ストーカーされた・・・
虐待されたと・・・・絶叫するかもしれない・・・????
ランは、植物はおとなしいから・・・・耐えているだけのこと。
人間に生まれってよかった!
そういうことで・・・・
木を見て山を見ない・・・業者は、ラン界を進歩させているのか、沈滞させているのかわからない。





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木を見て山を見なかった

kouza4aa